ラストメッセージ: 受験勉強を通じて得られること

ここでは、これから入試本番に臨む受験生に、今までこのHPにアクセスしていただいたことへの感謝と、第一志望校合格に向けての応援の気持ちを込めて、私から2つのメッセージを送りたいと思います。


1.入学する大学こそ「my best!」

最後に私から送りたいメッセージの1つは、「結果は全てが必然で、最終的に入学する大学こそが、皆さんにとって縁のあるベストの大学だと信じて受験に臨んでほしい」ということです。

受験生の皆さんは、今まで本当によくがんばってきたと思います。目の当たりにしていない私が言うのも何ですが、このHPをずっとご覧くださったということは、努力された証拠だと思います。それは、このHPでは、「『受験勉強に王道なし』と信じてコツコツやろうという方」向けに更新していると「HOME」のページで謳っているため、それでもご覧いただいたということは、そのことを承知の上だったと思うからです。つまり、楽して大学に確実に合格できる裏技やノウハウを知りたい方だったら、別のHPや書籍に気が向いたことでしょう。それにもかかわらず、今まで読んでくださったということは、ひたすら地道な努力を重ねてきた方たちだからこそだ、と思うのです。

もっとも、受験には合格と不合格しかない以上、受験は結果が全てです。ですが同時に、受験には「絶対」はありません。つまり、いくら努力を重ねたからといって、志望校に合格する保証はありませんし、逆に言えば、不合格だったのは、努力しなかったから、怠惰だったから、とばかりも言えないのです。努力と結果は、もちろん結び付く可能性を大いに秘めていますが、受験では本当に何が起こるかわからないのです。他の受験生の結果が良ければ、手ごたえはあっても合格しない場合もありますし、たとえ手ごたえがなくても合格することもあります。つまり、ある程度の努力が大前提ですが、それ以上は、「神のみぞ知る」とでもいうような要素があるのです。だからこそ、合格した大学、入学する大学こそが、皆さんにとってのご縁のあるベストの大学だと言うこともできるのです。それに、それくらいの気持ちで臨めば、かえって、当日ベストに近い結果が出るかもしれません。

実際私も、入学してから何ヶ月かは、「何て地味な大学に入ってしまったんだろう」と随分思ったものです。でも、今では現役時代に失敗したことも、浪人したことも、予備校に通ったことも、そして母校に合格し、卒業したことも、全てが自分にとってのベストだと思って納得しています。

もちろん私は、このHPをご覧の方にも当校の生徒にも、第一志望校に合格してほしいと心から思っています。生徒には「努力はきっと報われる」と励まし、実際私もそうは思っています。でも人生には、「第一志望校合格」などといった自分の望んだ通りの形ではない報われ方をすることもあります。それは人それぞれではありますが、はっきり言えるのは、合格すればいいというわけではなく、一番大事なのは入学してからで、それこそが今後の人生を決め、今までの苦労が報われるかどうかのポイントだということです。

過去の話とはいえ、実際、早稲田に合格しても、定期的に女性に暴行するようなサークルを運営した学生がいます。慶応に合格しても、麻薬に手を出したり、裸で駅構内を走り回り、ミスコンをつぶした学生もいます。天下りや渡りなどで、世間から批判されている官僚の大半は、東大の法学部出身です。さらに、東大を出ながら、天下の大蔵省(現:財務省)に入省しながら、若くして衆議院議員に当選しながら、国会内では汚いやじの印象しか持たれず、そのあげく、偽メール問題では、虚偽の発言により、議員辞職に追い込まれたことで人生が狂い、ついには自殺に至った例すらもあります。もちろんこれらは、極端かつごくごく一部の例です。でも、存在したことはまちがいありません。これらの人物に共通していることは、日本を代表する難関大に合格した、まぎれもない受験の「勝ち組」だったことです。そして、多くの受験生やそのご家族が思い描くような、「難関大に合格=人生の勝ち組」とはいかなかったということです。

もし第一志望校に合格したら、それはまさに努力が報われたのですから、そのことに自信と誇りを持ち、今後の人生を前向きに歩んでください。もし不合格でしたら、まずは何が原因だったかを考えてください。その上で、もし「やるだけのことはやった」という気持ちがあれば、そのことに自信と誇りを持ち、自らの価値観をもとに、保護者の方とも相談しながら、志望順位はともかく、合格した大学に行くのか、もう1年がんばるのかを決めてください。その上での決断であれば、それがベターだと思います。

もし、今年度の学習面において、後悔や反省すべき点があり、「不合格になるべくしてなった」といった思いがあれば、その悔しい気持ちを忘れず、それをどこにぶつけ、何を目指すことが一番納得できるのかを決めてください。今度こそ志望校に合格するため、もう1年がんばるのか、たとえ上位志望校でなくてもいいので、1年でも早く大学に入り、希望通りの就職をすることで挽回を目指すのか、どちらにしても、自分で考え抜いた末での判断ならベターです。費やした時間とお金から考えると「高い授業料」だったかもしれませんが、その後の奮闘によっては、むしろここで悔しい思いをしたことが、人生のターニングポイントになるかもしれません。このことこそ、私の言う「結果は全てが必然」という意味です。

ただ、このように、自らの価値観でどうするかを決められるのは、1校でも合格していた場合です。これが全滅なら、もう1年やるか、大学受験自体をあきらめるしかありません。私は「滑り止め校」を受験することに大きな意義を感じていますが、それはこのような選択肢を得るためでもあるのです。もし、今でも第一志望校しか受けない、といった強気の受験を考えているようであれば、今からでも間に合う滑り止め校があれば、出願する最後のチャンスかもしれませんので、ぜひ今一度検討してみてください。


2.受験勉強は必ず将来役に立つ!

最後に私から送りたいもう1つのメッセージは、「受験勉強を通じて得たことは、将来必ず何らかの役に立つ」ということです。 確かに、受験勉強で得た知識自体が必ずしも役に立つとは限りません。古文や漢文はその最たるものです。別に源氏物語が読めなくても困ることはありませんし、内容を知りたければ、現代語訳や漫画などで十分です。古典文法や漢文の句形に至っては、現代では日常的には使いません。私が浪人時代に教わった講師も、「漢文なんて本当に何の役にも立たない」と口癖のように言っていたものです。その講師自身は立場上、一応役には立っているものの、このようにせいぜい教鞭を取っている立場の人ぐらいでしょう。

英語にしても、会話やリスニングならともかく、入試問題の大半を占める文法や読解(特に下線部訳)は、ほとんど使うことはないでしょう。英文を読む機会自体はあるかもしれませんが、文法事項がわからなくても、だいたいの意味がわかれば十分ですし、下線部訳のような、直訳を正確に書くことが求められることはまずないでしょう。たとえ翻訳家になったとしても、求められる技術は、下線部訳とは似て非なるものです。

日本史や世界史も、知っているに越したことはありませんが、知らずに困ることはあまりないでしょう。理系の方にとっては、専門職の人が物理や化学、生物の知識を問われることはあっても、数学はそこまでではないと思います。

でも、ここで言う「役に立つ」というのは、そういう意味ではありません。別に内容はどうでもいいのです。大事なのは過程です。つまり「多感な時期の貴重な1年もしくは2年を、他のやりたいことを犠牲にしてまで、受験勉強に費やした経験を通じて得るものは大きい」ということです。これは、野球をやっていることが、今後日常で役に立つとは限りませんが、野球部に所属し、毎日厳しい練習に耐え、大会に向けてがんばった経験が、今後の役に立つようなものです。少なくとも、私にとっては、

A.たとえつらくて大変なことがあっても、「受験勉強していた時に比べれば、このくらい
  は大したことではない」と思えたことで、これらを乗り越える活力になった。


B.何かを成し遂げるためには、何から何まで自分の力だけでやろうとしても限界がある
  ため、その道のプロに教えを請い、その上で、それらを自分のものにできるよう、
  努力する方が早くて効果的だとわかった。


C.たとえ日常生活の役には立たないことでも、知識として持っているだけで、自分自身
  の、人間としての幅が広がり、将来の可能性も増えることを実感した。

  (そもそも大学とは、そのようなことを学ぶ場です。)

といった収穫がありました。

Aについては、入学後、就職活動・教育実習・卒業論文という、乗り越えるべく大きな壁を前に感じたことです。受験勉強が今までで一番つらかっただけに、これを乗り越えたことがどれだけ自信になったかわかりません。だからこそ、その時の苦労に比べれば、どれも1年以上かけてがんばったわけではありませんので、大したことはないと思えたのです。でも、実際はどれも大変なことです。にもかかわらずこうした気持ちになれたということは、手前味噌ではありますが、それだけ苦難に耐え、克服できるだけの力が備わったということなのだと思います。


Bは、このHPの「予備校 or 独学」のページで「そもそも予備校に通うべきか」と題して、私が予備校に通ったほうがいい理由として取り上げました。予備校職員や講師たちは、受験生が味わっている苦労や、それらをどうすればいいのかを必死に考え、克服するという経験を、今よりもはるか前に、言わば今の受験生の代わりにしてきただけでなく、それを惜しみなく教えてくれるのです。これを利用するほど有効な手はありません。

スポーツや芸能、その他の技術でも、何にでも言えることですが、これらを独学で学んで大成した人は数えるほどしかいません。他に教えてもらえる人がいなかったため、自ら未開の地を切り開かざるを得なかった人はいても、ほとんどの人は、何らかの形でコーチなり師匠のもとで教わりながら自分のものにしていったのです。松井やイチロー、そしてマー君でさえも、全くの独学ではなく、ちゃんと指導者がいたわけです。もちろん大成するためには、ある時期を境に、指導者を超えるといいますか、指導内容にアレンジを加えながら自分なりのスタイルを確立し、最終的には独立することが大前提です。でもそれは、それ相応の練習と実績を重ねた後の話です。本番間際ですが、まだ時間はあります。悩み事やわからない問題などがあれば、ギリギリまで職員や講師に相談してみてください。

どの世界でも、だいたいのことを教わったからといって、「あとは自分でやります」と、指導者のもとをあっさり離れる人はめったにいません。そう言うと納得する人は多いのですが、こと受験勉強に関しては、予備校である程度授業を受けると、「あとは自分で勉強します」と言って、残りの通常授業や講習を受けず、まだ基礎が固まらないうちから、ひたすらハイレベルの問題集や赤本をやろうとする人が少なからずいます。でも結局は中途半端になる場合が多いのです。確かに、「予備校の授業など取らず、ひたすら赤本を研究せよ」と、「東大合格」という自らの成功体験をもとに訴える人がいるのも事実です。ただそれは、東大合格以前に、日本でもトップクラスの進学校に所属するなど、元々基礎ができていた人の話です。また、独学で効率的に勉強し、偏差値40から独学で東大合格を果たし、その過程を本に出している人もいますが、それは例外中の例外だから珍しがられ、注目されて本も売れるのです。それが当たり前なら、そんな本は出ませんし、出ても売れません。そして、この世から予備校は消えます。

実際には、消えないどころか増えているということは、独学は誰でもできるわけではないのです。ということは、基礎からじっくり固める必要がある人ほど、プロの指導を受けた方が結局は近道なのです。途中から自分でやろうというのは、今までやってきた勉強が中途半端だったため、間際の時期になっても結果が出ずにあせっている証拠です。これは、独学にこだわって結局浪人し、それをきっかけに今までの自分のやり方を捨て、プロの教えを受けたおかげで何とか合格できた私の実感です。そして、これは受験に限らず、今後あらゆることに通用します。時には意地とプライドを捨て、その道のプロに教わる謙虚さと素直さがあれば、独学の何分の1かの努力でものにできるかもしれないのです。このことが、いろいろな意味で自分の世界が広がることにもつながりますので、断然お得なのです。


Cは、今は実感としてわからないかもしれませんが、役に立たないと思える知識でも、どこで役に立つかわかりませんし、何より「勉強したけど、あまり役に立たなかった。意味がなかった。」という結論が出れば、その結論を出す役には立ったことになるのです。逆説的な言い方かもしれませんが、役に立つかどうかは、勉強してみないとわかりません。そして、そうした非実学的なことというのは、受験勉強のような機会でもないとなかなか勉強できません。また、たとえ直接役には立たなくても、こうした知識の積み重ねが、創造性を育むきっかけとなり、それが新たなアイデアを生み、人間としての幅を広げ、器を大きくするのです。それが証拠に、公務員試験でも、直結する法律や政治だけでなく、仕事では直接使わないと思われる、一般教養的な知識も幅広く問う出題内容になっています。ということは、「実学的ではないこと=役に立たない」といった図式は、成り立つとは限らないのです。そして、実学的ではないけれど、教養を高めるような学問を学ぶことこそが、大学に行く意味なのです。実際、どの大学でも、各学部・学科の専門科目とは別に、一般教養的な科目を必修としていますし、国際基督教大などのように、一般教養自体が専門科目のようなカリキュラムになっている大学もあります。そもそも、本当に役に立つことだけを勉強したければ、専門学校に行った方が近道だと思います。これも、受験勉強の際に覚えた知識が、たとえうる覚えでも、役に立つと今でも感じることがある、私の正直な気持ちです。



私は今まで、HPでもメルマガでも、全国の受験生の方々に、受験勉強を通じて、生きていく上で必要な何かをつかんでほしい、そんな願いをこめて更新・配信してきました。今回のメッセージで、これが私の経験に基づいた実感であることが改めておわかりいただけたかと思います。どのような結果になっても、この1年の努力は、皆さん1人1人の血となり肉となるはずです。ですのでどうか、全ての入試結果が出るまでは、目の前の入試のことだけを考え、それぞれの合否に一喜一憂することなく、全力で臨んでください。そのことで、第一志望校合格が結果としてついてくると私は信じています。

inserted by FC2 system