自己紹介に代えて・・・

ここでは自己紹介を兼ねて、私が予備校に通うことになるまでのいきさつをお話いたします。

実は私は、最初から塾や予備校がいいと思っていたわけではないのです。でも、予備校での浪人生活を通じ、人生のターニングポイントになったと思うほど得るものたくさんがあったと思っています。もし今の時点で「予備校に通わず独学で勉強しよう」と思っている方がいらっしゃったら、まずは私のそのあたりの体験談をお読みになってから最終決定をしていただければ幸いです。



塾・予備校が嫌いだった以前の私

改めて過去を振り返ってみますと、私の中では、人生の一大転機になったと言える出来事のうちの1つが、浪人生活だったと思います。何をかくそう、浪人した時に予備校に通うまで、生まれてこのかた塾や予備校に通ったことが一度もありませんでした。一番の理由は、私の中ではイメージが悪かったため、塾や予備校自体が嫌いだったからです。

当時の私には、「塾や予備校=年末年始に、竹刀を持った講師が生徒にハチマキを締めさせ、『エイエイオー』の掛け声と共に、正月返上で勉強させている姿」という図式が頭にありました。元々私は、気合や根性の精神論的な考え方が好きではなかったので、その光景を異様に感じ、抵抗がありました。また、私は高校までは教員志望だったので、「塾や予備校は、受験のテクニックを教えるところで、学校は、勉強を通じてものの考え方や生き方などを教えてくれるところ」と信じて疑いませんでした。現職からすると信じられないですが、私は昔、本気でこう考えていました。

思えば中学までは、スポーツや美術が苦手でしたが、その分勉強には力を入れていたように思います。学校で習ったことをしっかり復習した上で、問題集などもちゃんとこなしているという自負が、私なりにあったという意味でも、当時の私は、塾に通う必要がないと思っていました。塾は、諸事情でそれができなかった人が通うところだと思っていたくらいです。

・・・やなやつですよね。よくわかります。

でもそれは、運動部などに入らず、テレビゲームなどもやらず、空いている時間をほとんど勉強に充ててきたため、結果として「質より量」と言いますか、中学レベルまでなら、勉強に質が伴っていなくても、量をこなせば何とかなったからだったと思います。当時の私には、毎回得点や順位を競争していた友人がいました。その彼は、小学校時代には水泳を、中学ではバレーボールをやっていて、毎日遅くまで練習してくたくただったはずなのに、家に帰ってから勉強し、私と比べるとわずかな時間しか勉強できないはずなのに、小学生の頃から成績が良かったのです。しかも、彼との順位・点数競争を振り返ってみますと、範囲の広いテストの時ほど負けていたような気がします。そのため、トータルでは五分五分だったと思いますが、負けた回の方が多いというのが私の実感です。

そう考えますと、学校以外の時間をほとんど勉強に充ててきた私とその友人と、どちらが効率よく勉強していたかは一目瞭然です。でも、当時はそのことに気づきませんでした。むしろ、彼に勝つにはもっと勉強するしかないと思い、勉強時間をただ増やしただけでした。それが第一志望の高校に合格したにもかかわらず、挫折を味わうことになるきっかけだったのかもしれません。また、その彼は塾には行っていなかったと思いますので、なおさら塾は必要ないと思い、最後まで塾には通いませんでした。

そして高校では、内容が急に難しくなる上に進度が早く、今までのやり方では全くついていけませんでした。単純に考えれば、今までのやり方通りでやろうと思ったら、あと何時間余計にかけなくてはいけないのか・・・。物理的に無理があるのはうすうすわかっていながらも、そのやり方で希望の高校に合格したこともあり、とうとう最後まで固執してしまいました。

特に英語は、中学の最初からつまづいたのですが、量をこなすことで理解したことにしてきたつけが回ってきた形となり、最後まで足を引っ張りました。定期テストが終わるたびに書店に走り、出た問題を扱っている参考書を買うものの、そこまでこなせる時間が当時の自分に作れるはずもなく、結局やった気になっただけでやらずに終わる、という繰り返しでした。

とにかく、いくら勉強しても合格できるような気がせず、というより、やればやるほどネガティブ思考に陥って、常にイライラして心の余裕が持てなかったことが、何よりのデメリットでした。当時のことを思うと、今でも後悔の念が襲ってきます。

結局受験した大学は全滅・・・完膚なきまでにたたきのめされました。でも、こんな私が予備校に通い、今の考えに至ったきっかけは、この結果で浪人を余儀なくされ、今までの勉強について考え直したことでした。


ついに予備校に通うことに・・・

私は元々、浪人しても宅浪と思ってきましたので、今までを振り返り、改善すべきは改善して来年こそは・・・と、たとえ浪人が現実になっても奮起できると思っていました。しかし・・・当時の私は、そんな気分には全くなれませんでした。そして、「いくらやっても合格する気がしなかった今までの勉強法を、多少改善する程度の甘いやり方では間違いなく来年もない! このままでは2浪だ・・・」と、今までのスタイル、考え方の一切を捨てる外科手術が必要なことを悟りました。そこで、その第一弾として、あれほど抵抗のあった予備校に通うことを決めました。この状況を打開するには、受験のプロの指南を受けた方が近道だと思ったのです。ただ、当時の地元には、小さい予備校しかなかったため、「井の中の蛙」になることを恐れ、首都圏の予備校に通うことにし、併設の寮にも入りました。

何せ生まれて初めてのことなので緊張しましたが、いざ通ってみると、今までいかに「食わず嫌い」だったかを思い知ることになりました。とにかく授業がわかりやすくて楽しい! 高校生活では全く味わえなかった経験でした。特に忘れられないのは、ある英語の講師の次の言葉です。

「高校の先生はこう教える −これは○○です、覚えましょう。『習うより慣れよ』です− でも、覚えさせるのなら、どうしてそうなるのかをきちんと説明すべきだし、そもそも受験生に『習うより慣れよ』は禁句。高校の先生は、何十年と同じことを教えてきているので、特別な方法なんかなくても慣れているので、覚えていて当たり前。でも受験生は、他の科目もいろいろやる中で英語もやらなくてはいけないので、いかに限られた時間で効率よく覚えられるかを教えるべき。みんな、だまされるなよ!」

・・・私はこの言葉にどんなに救われたかわかりません。そして、思えば中1から始まった私の「英語のつまづき人生」から、ようやく解放されるかもしれないという期待を胸に抱くことができました。実際、特に英文法は、明らかに伸びたという実感があります。そして、あれほど嫌だった塾・予備校だったのに、授業は1日も休みませんでしたし、夏期・冬期講習も取りまくりました。また、授業が楽しくわかりやすかったので、予復習も苦にならず、その合間に、高校時代に買って以来、手をつけずじまいだったものも含めて、問題集もいろいろこなすこともできました。また、このペースを続けたことで、いつの間にか効率のよい勉強をしていました。何より、秋口には、今までがうそみたいに、「これだけ勉強すれば何とかなるかもしれない」と前向きに考えられるようになりました。それだけでも大きな収穫です。

また、今まで抱いていた塾や予備校へのイメージも、実体験したことで、


・都会では、「補習塾」としてだけでなく、できる人がさらに上を目指して塾や予備校に
 通う人も多い。


・夏休みや正月など、世間が「休みモード」になっている時は、それを振り払うほど
 真剣に取り組もうとすると、ハチマキくらいはしめて気合を入れたくなる時もある。


・塾や予備校は確かに受験のテクニックを教えるが、あくまで本番直前になってからで、
 普段は基礎を重視するところが多い。そのため、1年を通じてテクニックばかり教える
 講師はまれ。


・人気講師の中には、授業内容だけでなくテキストの内容などにちなんで脱線し、そこで
 ものの考え方や生き方などを話してくれる講師がいた。授業がおもしろくわかりやすい
 ので、高校の先生に言われるよりよっぽど説得力があり、講師もただテキスト通りの
 ことだけでなく、何かを若い人たちに伝えたい、という情熱を少なからず持っており、
 そういう講師ほどむしろ人気を得ていた。


といったことがわかり、がらりと変わりました。

私は今でも予備校に通ってよかったと思っていますし、おかげで国立大学 に合格することができました。この体験をしたことが、予備校に通った方 がいいと私自身が考える一番の理由であり、現在予備校に勤めている理由だと言ってもいいと思います。もっとも、 単純な流れでここまでき たわけではありません。でも、こうした経験や、この経験を通じて得たこ とが、今の仕事のベースになっていることは間違いありません。

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